スペシャルインタビュー:建築家 豊田啓介氏

“建築家”として新たな価値を提示する
~豊田啓介が越境し挑戦を続ける理由

INNOVATOR's VISION

シェアする

 

Image courtesy of lorem ipsum

イノベーターに問う、「進化の生み出し方」と
「創りたい未来」

”進化は待つものではない。進化は生み出すものです。” ~オートデスクの掲げる理念に共鳴するイノベーターに、その実践と軌跡に潜む「進化の生み出し方」、そして現在想像する「創りたい未来」に迫る、スペシャルインタビュー。

第一弾は、東京大学生産技術研究所特任教授である建築家の豊田啓介氏に話を伺います。

[Description.] Photo courtesy of [credit].

INTRODUCTION

NOIZ設立、gluon 設立メンバー、2025 年大阪・関西国際博覧会 誘致会場計画アドバイザー(2017 年~2018 年)、建築情報学会副会長(2020 年~)、大阪コモングラウンド・リビングラボ立ち上げ……。大学教授として、そして建築家として、多様な肩書き・経験を有する豊田啓介氏。

フィジカルな“もの”を扱う建築という分野にありながら、独立後から一貫してデジタルに軸足を置き、近年ではミラーワールド、コモングラウンドといった、デジタルの中でも最先端に近いキーワードに関する活動に力を入れる。

一般的な“建築家”という像をゆうに飛び越えるような幅広い活動に取り組む豊田氏は、いかなる未来を見据えているのか。その背景と共に、生み出そうとする未来を訊いた。

デジタルとは無縁の、建築家としての土台

今の豊田氏の活動を見ると、その出自は少々意外に映るかもしれない。

幼少期からデジタルテクノロジーに触れ、その技術をいかに建築に活かせるかを長年考えてきた…というような道筋を想像してしまうが、豊田氏の軸はあくまで「建築」、かつ非常にトラディショナルな領域にあった。

出身は千葉のニュータウン。大規模開発によって新たな街並みが次々と生まれるさまを幼少期から間近で目にし、進学にあたっては迷わず建築学科を選択。東京大学へ進学した。

卒業後には世界的建築家・安藤忠雄氏が主宰する、安藤忠雄建築研究所へ入社。建築業界の中でも重鎮中の重鎮、文字通り“巨匠”のもとで、経験を積んだ。

興味深いのは、当時の安藤忠雄建築研究所が「徹底的なアナログ環境」だったことだ。まだ CAD が実用的ではなかったこともあるが、図面は基本手書き。コピー機もメールも使わないような環境で、トラディショナルなものづくりを「体に染み込ませる」濃密な時間を過ごした。

豊田「設計者の意図や情報をいかに集約させ、研ぎ澄ませ、形や一本の線に昇華させていくか——そういったことの“極限”を突き詰めるような事務所でした。その極限が人間の身体や体験にどう反映されていくかを作り手として体験できたのは、ものすごく大きかったと感じています」

日本の建築業界の中では間違いなく「最高峰」と呼ばれるであろう環境で経験を積んだ後、豊田氏は更なる挑戦の場として、デジタル技術を用いた建築のフロンティアとして注目を集めていたコロンビア大学へ留学する。

フランク・ゲーリーの代表作の一つ、ビルバオ・グッゲンハイム美術館

フランク・ゲーリーの代表作の一つ、ビルバオ・グッゲンハイム美術館

この選択の裏には、豊田氏の中で脈々と積み重ねられた「デジタル技術」に対する漠然とした期待感があった。

豊田「学生の頃からゲーリー (*1) が好きだったんです。彼の建築にデジタル技術を活用する姿勢や、当時の時代背景もあり、建築領域においてデジタル技術が着実に活きるフェーズになりつつあるのではという期待がありました」

(*1:カナダ出身の建築家 フランク・オーウェン・ゲーリー(Frank Owen Gehry)。コンピュータを建築設計に用いるのがまだ一般的ではない 1980 年代頃から航空機や機械の設計で用いられるソフトウェアを建築に応用し、アナログ環境では実現が難しかった曲面を多用した建築を数多く手掛けてきた人物)

設計コンセプトを Autodesk Maya を用いて 3 次元の空間上に表現

設計コンセプトを Autodesk Maya を用いて 3 次元の空間上に表現

ペーパレススタジオの衝撃。テクノロジーを“使い倒す”技術

豊田氏にとって、コロンビア大学という環境は「異世界」だった。それを表すかのように、入学してすぐのオリエンテーションの記憶を、次のように語ってくれた。

豊田「授業のオリエンテーションの様子は今でも覚えています。オートデスクの Maya を使って、リアルタイムにポンポンと立体を立ち上げ、それをぐにゅんぐにゅん曲げていた。建築が目の前でダンスを踊るような様に、『これはやばいところに来ちゃったな』と思いました」

日本の建築分野では間違いなく一線級の経験を積んできたにもかかわらず、カルチャーショックとも言うべき差異を感じた豊田氏。だが、その環境に臆することなく、この驚きは、ポジティブなエネルギーに転換されていく。

Text-only; 2 columns

豊田「当時のコロンビアでは、映像や音声など建築外のデータを扱うソフトウェアを建築に応用することが注目されていました。あらゆる情報はデジタル基板を経ることで数値情報に変換できる。たとえば『音』という情報であっても、形に変換したり、シーケンスに変換できる。新しいソフトウェアを覚えると扱える情報のチャネルが増えるので、覚えれば覚えるほど表現の幅や扱えるフィールドが広がっていく。それがとにかく楽しかったですね」

豊田氏が入学したコースは 1 年間という短期集中型。「むちゃくちゃインテンシブだった」というが、その充実ぶりは卒業後米国で働きはじめたことが表している。コロンビア大学での経験を「より深めたい」と考えた豊田氏は、卒業後、デジタル技術を用いた建築設計で知られる SHoP Architects で働きはじめたのだ。SHoP Architects のパートナーが、同大学の准教授を務めていたことがきっかけだったという。

同社は、「世界の建築分野で最も革新的な 10 の企業」に選出されるなど、今でこそ世界的に名が知られるが、当時は 5 名のパートナーを含めて 10 名程度の黎明期。そんな時期だからこそ、実験的な挑戦をいくつも積み重ねた。

豊田「僕がいた頃の SHoP Architects は、新しいソフトウェアやツールが出ると『ちょっと使い倒してみよう』と、とにかく試してみていました。『どんなプロジェクトをやるかは分からないけど、3 人は来月までこのツール以外使っちゃダメ』『1カ月後にどんな感じだったか、みんなに報告して』みたいな具合です。

よく分からないものでも、突き抜けるまでやりきる。もちろんハズレもあるんですが、そんな積み重ねが次に活きる。そういう姿勢があったからこそ、SHoP Architects は建築の実務におけるコンピュテーショナルデザインで最先端の事務所として成功しているのでしょう」

豊田啓介氏

豊田啓介氏

下手物扱いから、“建築外”へ向いた意識

建築にデジタル技術を活かす可能性を、大学・実務の双方で身をもって理解した豊田氏は、2007 年にコロンビア大学時代の同級生・蔡佳萱氏とともに NOIZ を設立。デジタルに軸足を置く建築事務所を標榜した。

だが、豊田氏が経験してきた環境と当時の日本の間には、隔世の差とも言えるような大きなギャップが存在していた。建築とデジタルの掛け合わせは、日本ではまだまだ新奇なものだったのだ。

豊田氏は当時の様子を「下手物扱いだった」と表現する。「何度も、アメリカに帰ろうかと思いました」と笑うが、その時代の経験が現在の多種多様な活動の原点にもなっているという。

Text-only; 2 columns

豊田「当時、デジタル技術のシンポジウムなどに行くと、口を揃えて『デジタルはこのような点でダメな部分がある。だからデジタルを建築に持ってくるのはよくない』といった話ばかり。

自分たちの興味あることをやるためには、社会側の価値観や期待値を変えていかなければいけない。そんな壁に幾度もぶつかりました。当時感じた課題感が、現在の建築情報学会の立ち上げや大学で教えることといった建築外での活動に繋がっているんです」

そうした時代背景もあり、当初は海外案件が中心だったという。その中でも、豊田氏は SHoP Architects 時代から変わらず、「実験」を続けた。建築物や内装設計といった、いわゆるな建築の仕事をはじめ数多くの案件を手掛けてきたが、豊田氏が当時特に可能性を感じたと振り返ったのが、メディアアートの領域だ。

豊田「まだ立ち上がりの頃、サウンドアーティストの城一裕さんに声をかけていただき、東京藝術大学の芸術情報センターで非常勤講師を務めるようになりました。その当時から、メディアアートの方々はビジュアルコーディングをどうゲームに活かすか、建築で使えるか……といった具合に、様々な技術をどう転用できるかを当然のように議論していたんです。建築の外の世界でテクノロジー活用や変遷を見れたのはとても大きかったですし、ネットワークも広がった。今でもメディアアートの人とはコラボレーションする機会が多いです」

以後、徐々に社会が豊田氏に追いつき、少しずつその活躍の幅は広がっていく。近年では大阪・関西国際博覧会 誘致会場計画のアドバイザリーとしての活躍が記憶にある人も多いはずだ。

他にも、2017 年には「建築・都市×テック×ビジネス」をテーマにした領域横断型プラットフォーム gluon を共同で設立し、建築外での活動も精力的に取り組むように。2020 年には建築情報学会の設立に尽力、副会長として研究と実践を横断しながら知識の体系化に努めるように。さらには、大阪コモングラウンドリビングラボ運営員、東京大学生産技術研究所の特任教授と活躍の幅を広げ続けてきた。

コモングラウンドプラットフォームの目指す世界

コモングラウンドプラットフォームの目指す世界

「建築家」として見据える、2025 年とその先

そんな豊田氏が、現在の活動においてひとつのマイルストーンに据えるのが、2025 年。そう、大阪・関西万博だ。

「モノと情報が重なる“共有基盤=コモングラウンド”を構築できれば、日本の産業、ひいては日本の社会はまだ『間に合う』かもしれない。大阪・関西万博は、時期的にも規模的にも、コモングラウンドの社会実装を手繰り寄せる、千載一遇のチャンスになりうる」と他誌でも語っている。

端的に言えば、都市レベルの情報をデジタルとフィジカルでつなぎ合わせ、人間と人間以外の双方が活用できるようにする“共有基盤化”する格好の機会が 2025年というところだろう。

Text-only; 2 columns

豊田「万博って、すごく分かりやすい旗印なんですよ。『万博に出たいなら…』という枕言葉で、普段動かない企業を動かしたり、連携しない者同士をつなげるといったことができる。その力を持って、新しい社会価値にみんなで共同で投資をするモーメントをつくりたいんです」

コモングラウンドのような環境ができれば、「最終的には、全国どこにいても(教育機会などの観点で)都会でも田舎でも平等に機会が得られるような社会になっていくのではないか」という。

このコンセプトは確かに魅力的かもしれない。だが、豊田氏はなぜこれにそこまでベットしているのだろうか。その想いの理由を聞くと、何なんですかね。僕も正直分かんないんですよ」と苦笑。一呼吸置いて、こう言葉を続ける。

豊田「最終的には、ひとりの建築家としてどんなものがつくれるかに興味があるからだと思います。どういう違う価値観でものがつくれるか、新しい価値が提示できる可能性があるか。それをやるためにデジタル技術が必要で、それを使い倒すためには、クライアントや社会の評価が必要で、評価するためには学問が必要で、社会実装する価値体系も必要で…と活動がどんどん広がっているとも言える。

『建築もやるんですか』と時々聞かれたりするんですが、あくまで自分は建築家。ものをつくっていく、新しい価値の可能性をみるために、土壌を耕し続けているんです」

こう聞くと、一見いちクリエイターとしての内発的な動機に基づくもののように見える。その側面ももちろんあるが、豊田氏の活動はそうした「自身」と「社会」との間でせめぎ合っている。その感覚は「迷い」という言葉で表出している。

東京⼤学 ⽣産技術研究所

東京⼤学 ⽣産技術研究所

豊田「社会実装をして、みんなが新しい価値を感じてくれれば、それでいいんじゃないかって思ってしまう時もあるんです。

また、話を大きくすれば、今の子どもたちが大人になったときに、本当に彼らに申し訳ないと思わずにいられるような環境を残せるかみたいなことも考えたりします。その観点で言えば『建築家としての自己実現』なんてどうでもよくて、自分の力をそちらに使うべきなんじゃないかといった自問自答もあったりする。

建築家という概念を拡張すれば、今僕がやっていること全部『建築家』としての活動だと考えることもできるなとも思ったり、やっぱり“形”に残さなければ建築じゃないんじゃないかとも思ったり。葛藤している感覚はありますね」

いうなれば、建築家・豊田啓介が 2025 年の先に見据えるものはまだ、「内発的な意味合い」と「社会的な意味合い」の双方で明確な像を結びきっているわけではないのかもしれない。

だが、2025 年が旗印として重要になる ~その確信は間違いなくあるゆえに、領域を横断しながら着実に歩みを進めているのだろう。

進化を生み出す、2 つのヒント

取材の最後、本連載のテーマでもある「進化」を生み出すために必要なものを問うと、豊田氏は 2 つの視点を提供してくれた。

1:自分の中の問いを掘り下げること

「そもそも何をやりたいのかがないと、新しい要求や、現状への不足を感じることはありません。特に新しい技術・テクノロジーを用いようと志すならなおさら。“こうしたい”がないと、どうしても技術に踊らされてしまう。だからこそ、自分の内なるというか要求を自覚し、現状とのギャップや不足を感じることが重要。既存の枠を超えていくために何が活かせるかという視点で技術を捉えてみてください」

2:異なる視点を持つこと

「最近、教育現場にいて感じているのが、自分サイズ、自分視点を重視する傾向です。それはそれで新たなオリジナリティの表出だと思う一方、外からみたときの視点/違う位置から見た時に世界がどう見えるのかとという、“相対化”が欠けていると感じることも多い。ゆえに、相対化できる「異なる視点」を持つことが必要だと考えています。それを手っ取り早く体得する方法が、場所を変えたり、使う道具を変えること。強制的に自分の視点を変えることになりますから。働く場所でも、住む場所を変えるのでもいい。道具を手書きからデジタルにするでも、普段使わないものを使うでもいい。最初は肌感合わなくても、続けてみることで今まで耕されていない部分が見えてくるはずです」

関連製品

Compare
詳細はこちら