脳波測定用のカスタムEEGヘッドセットが実現する在宅でのリハビリ
20世紀を代表するSF作家アーサー・C・クラークは、かつて「十分に発達した科学技術は魔法と見分けがつかない」と書いた。四肢麻痺を持つ人が、念じることにより自身の手でモノをつかむのを目にすれば、まるでマジックのように見える。だが、これはブレインコンピューター インターフェース (BCI) と筋肉の機能的電気刺激 (FES) で実現しているのだ。
ただし、問題もある。スコットランドのグラスゴー大学で医用生体工学を学ぶ博士課程の学生、ニーナ・ペトリック-グレイ氏は「BCI/FES療法には複雑な装置が多数必要で、セットアップにもかなりの時間がかかります」と話す。「患者は専門家の予約を取るため、日程を調整しなければなりません」。
この脳波 (EEG) 信号の取得が、患者 (または最低限の訓練を受けた介護者) が自宅で行える程度にシンプルになったら、脳卒中や脊髄損傷後の四肢のリハビリは大幅に低コストになり、より多くの患者が利用できるだろう。この課題に挑戦するべく、ペトリック-グレイ氏は家庭用の携帯型BCIヘッドセットをデザインしている。
氏は脊髄損傷と脳卒中のリハビリを広く研究してきた。グラスゴー美術学校のデザイン学部とグラスゴー大学の工学部が合同で運営するプログラムで学び、製品設計工学の修士号を取得。彼女の主任指導教員であるアレクサンドラ・ヴコビッチ氏は、グラスゴー大学リハビリテーション工学の上級講師を務め、15年にわたりBICに従事してきた人物だ。
「英国において、完全な麻痺と運動機能の部分的喪失は、合計で5万件に上ります」と、ヴコビッチ氏。「年間約120万人が脳卒中を経験します。そのうち1/3の人たちは、退院の時点では自由な移動や手を使うことができません。回復のためには、自宅でさらなるリハビリを行うことが有効です」。
脊髄損傷と脳卒中の患者は、部分麻痺や四肢機能の完全喪失などの麻痺を経験することが多い。脳が腕や脚に指示を送れなくなるためだ。リハビリのスペシャリストたちは、ここ10年で、脳からの信号で筋肉を刺激できる神経電気刺激装置により、信号を再接続して四肢の運動機能を回復させることに成功している。独力で動けるまで回復する患者もいるが、それは何カ月、何年にもわたる理学療法を経てのことだ。BCIを用いれば、一部の患者は手を使えるところまで回復する可能性もある。
BCIヘッドセットは、脳活動を記録する。「脳活動を測定し、画面上に測定結果をグラフィック表示して、患者に脳活動の自己制御方法を教えることができます」と、ヴコビッチ氏。「身体の一部を動かそうと考えると、脳活動の中に、実際に動かしたときに似た変化が起こります。手を動かそうと考えると、コンピューターがその意思を検知して、刺激装置が作動。手の筋肉に信号が送られ、実際に手が動くという仕組みです」。
BCI/FESの第一候補となるのは、脊髄損傷患者のうち、手の機能を部分的に喪失している患者だ。「モノをつかむための動きである、曲げ伸ばしの機能を取り戻すことができればと考えています」と、ヴコビッチ氏。「脳卒中の患者では、さらに良好な成果が期待できるかもしれません。脳卒中の場合、手の制御機能は比較的温存されていることが多く、また損傷箇所が脳内にあるため、BCIを使用してダイレクトに狙うことができるからです。患者がより自立して行動できるための支援ができるのです」。
ヴコビッチ氏のラボでは、市販のEmotiv製携帯型ヘッドセットを使ってBCIの検証が行われた。「このヘッドセットはゲーム用にデザインされたものです」と、ペトリック-グレイ氏。「そのため、重視したい脳の主要な領域がカバーされていませんでした。また装着時の安定性にも問題がありました。良好なEEG信号を記録するには、電極と頭部の接触が良好な、安定したフィッティングが不可欠です」。
ペトリック-グレイ氏は最終的に、Autodesk Fusion 360のジェネレーティブ デザイン機能を使って独自のヘッドセットを開発しようと決心する。グラスゴー美術学校の製品設計工学部長でペトリック-グレイ氏の副指導教員を務めるクレイグ・ウィテット氏は「基となったヘッドセットは、旧来のCADでデザインされたものです」と話す。「ジェネレーティブ デザインを応用することでコンセプト開発の作業をさらに強化するべく、2018年後半にFusion 360へと移行しました」。
ジェネレーティブ デザインでは、設計エンジニアが必要条件を入力すると、ソフトウェアにより複数の反復が作成される。その後、デザイナーが、外観や実用性などの理由でエンドユーザーに却下されるであろうデザインを省いていく。例えば見た目が威圧的であったり、掃除や手入れが難しいものであったりすると、妥当なデザインであってもユーザーには受け入れられない。
「頭部の3Dスキャンを使い、その結果をジェネレーティブ デザイン ソフトウェアにインポートすれば、パーソナライズされたヘッドセット デザインの作成に使用できます」と、ペトリック-グレイ氏。このプロセスで、さまざまなプラスチック素材を使用した15種類のレンダリングが生成された。
「初期デザインの段階で、電極を配置すべき位置をある程度は予想できました」と、ペトリック-グレイ氏。「でも、より正確に配置できるようにしたいと考えました。それがジェネレーティブ デザインを使った最大の理由です」。
ヴコビッチ氏によると、市販のEEGヘッドセットのほとんどは額からのみ記録するようになっている。電極と肌の接触を妨げる髪が、額には生えていないからだ。「そのため、良好な信号が受信できているか、その信号がEEGなのか単なるノイズなのかが、専門家以外には非常に分かりづらくなってしまいます」。
利用価値のあるEEG信号を受信するために最適な場所は、残念ながら通常は髪に覆われた部分だ。受信は不可能ではないが、ヘッドセットが患者の頭にフィットするような造りになっていれば、ずっと簡単に良好な接触状態を得ることができる。
もうひとつの障壁がジェルだ。EEG電極の接触を良くするため、通常はジェルの使用が必要になる。この解決法としては、認知症の経過の追跡や、てんかん患者の微弱なてんかん発作の監視などに用いられる、ジェルの不要なEEG電極の転用が考えられる。これならセットアップ時間を短縮でき、患者はヘッドセット使用後にシャンプーする必要もなくなる。患者がこの処置を毎日、あるいは日に何度も行わなければならない場合は、衛生上の問題もあるのだ。
ペトリック-グレイ氏は、当初はアジャスターを備えたフリーサイズのヘッドセット開発を試みたが、万人に有効なデザインを得ることはできなかった。彼女が必要としたのは、患者一人ひとりに素早くかつ安価にヘッドセットを製造できる、カスタムデバイスのデザイン機能だった。
その目的は積層造形のプロセス、つまり3Dプリントを使ったカスタム製造のコストを最小限に抑えることだった。また、患者がヘッドセットを装着する際の可動部品の数も最小限に抑えたいと考えた。可動部品が増えれば、それだけ製造の複雑性とコストも増加するからだ。
現在、このカスタムメイドのヘッドセットは健康な被験者のみを対象に検証されている。システムはまだ公式な医療機器検証を経ておらず、このデバイスを治験に持ち込むには、さらなる改良と資金調達が必要だ。
英国の国民保健サービス (NHS) と医薬品・医療製品規制庁 (MHRA) に、このデバイスが病院で行われているリハビリより治癒効果とコストの両面で優れていると示せれば、NHSの保健治療対象であるリハビリ用製品として商品化が可能になる。
「人口の約8%が悩まされている、神経因性疼痛を対象とした用途にも取り組んでいます」と、ヴコビッチ氏。「このヘッドセットは、運動機能のリハビリ用途に限定されたものではありません。あらゆる種類の神経調節機能の治療に使用できます。また、ゲームでのピーク パフォーマンスの向上にも使用できます。健康な人間が脳波だけを使用してマルチユーザー ゲームをプレイする方法も検証しています」。