フランク・ロイド・ライトの有機的建築が時代を超える3つの理由
- フランク・ロイド・ライトの提唱した「有機的建築」とは、建築は人間の有機的な生活を反映したものであり、建築物は外部の自然と調和をはかるべきだという建築理念によるもの。
- ライトはデザイン思考を支持し、それを重視した建物を一世紀も前に実現している。
- 彼は空間や素材、構造の過激な再考を行うことで、建築が世界を変え、より良いものにするというデザインの民主化を体現した。
近代建築の三大巨匠のひとりであり、日本とも縁の深いフランク・ロイド・ライト。彼の遺作となったカリフォルニア州サンラファエルのマリン郡庁舎 (シビックセンター) は、彼の提唱した「有機的建築」を体現した宇宙船を思わせるデザインが特徴であり、未来のディストピア社会を描いた1997年公開のSF映画「ガタカ (原題: Gattaca)」の大半もここで撮影されている。
organicARCHITECTの設立者であり、キャリア初期にライトへ教えを請けた著名な建築家のエリック・コーリー・フリード氏は「彼の建物の多くが、まさに未来から来たもののようです」と述べる。「偉大なデザイナーの例にもれず、時代を超越する作品を生み出したのです」。
広々とした窓と低く抑えられた屋根、水平線を強調したデザイン、部屋同士を緩やかにつなぐ空間の連続性などを特徴とするライト作品は、米国建築界へ大きな影響を与えた。その先進性は、現在も100年前と何ら変わりがない。
ニューヨーク近代美術館 (MoMA) で建築、デザイン部門のキュレーターを務めるバリー・バーグドール氏は「20世紀の米国における建築の実践と理論の進化にはフランク・ロイド・ライトが強く影響しており、米国のモダニズム建築は彼の作品無しには理解できないでしょう」と述べている。
バーグドール氏と研究助手のジェニファー・グレイ氏がオーガーナイザーとなり、1867年6月8日のライト生誕を記念して2017年に開催された「Frank Lloyd Wright at 150: Unpacking the Archive」展には、建築ドローイングやモデル、映像、テレビ番組、印刷物、家具、テーブルウェア、テキスタイル、絵画や写真など400ものライト作品が展示された。
シカゴのフランク・ロイド・ライト保存トラストは、彼が居住し、仕事を行なったシカゴ周辺の関連サイトのオープンハウスも含む、150周年記念レクチャーやツアー、ハイキングを実施。ライトがデザインしたニューヨークのグッゲンハイム美術館は、6月8日の入場料のディスカウント、カップケーキのプレゼントを実施し、バージニア州アレクサンドリアのポープ・リーハイ邸は、150周年ピクニックとファンドレイザー パーティを開催。ライトの建築物が複数存在するニューヨーク州バッファローでは、Buffalo Arts & Crafts Allianceが4カ月にわたる展示とイベントが企画された。
フランク・ロイド・ライト財団の代表兼CEO、スチュアート・グラフ氏は、「彼は自らスキルを身につけた農家の少年で、作品を作り始めた時点でのエンジニアリング教育は1年に満たないものでした」と述べる。「そこから米国でも最も偉大な建築家となり、デザインや建築、生活の方法を根本から変革しました。そうした変化は、今でも我々が感じ取れるものです」。
ライトの遺産は過去に生み出されたものだが、そのビジョンはさらに重要なものとなっている。彼が米国の建築にもたらした3つの貢献と、それが現在と過去に示唆するところを考えてみよう。
1. サステナビリティの先駆者
彼が提唱した「有機的建築」という建築理念は、建築は人間の有機的な生活を反映したもので、建築物は外部の自然と調和をはかるべきだというものだ。
「彼はその人生を通じて、人類が建築したものと、自然環境や多様な地域におけるエコロジーとの関係性を心配していました」と、バーググドール氏。
そうした懸念こそが現代のサステナビリティが築かれた基礎であり、フリード氏によると、ライトは昼光照明やパッシブなソーラーヒーティングがトレンドとなる遥か以前から建築物を太陽の方向に向けていた。またパッシブ クーリングと現地の建材 (サステナビリティに配慮して伐採された木材を含む) を活用し、建築廃材を減らすため大量生産された材料の寸法に基づいた建築デザインを行っている。
「私は、彼が最初のグリーンな建築家であると考えています」と、フリード氏。「彼の建築は、グリーンビルディング (緑の建築とも呼ばれる環境配慮型建物) の教科書なのです」。
2. デザイン思考の擁護者
シリコンバレーやその他のイノベーションセンターでは、ビルディングやオブジェクト、ソフトウェアを、そのユーザーを念頭にデザインする「人間を核としたデザイン」が人気を博しているが、その最初期の支持者のひとりがライトだと言える。
「彼はクライアントと親密な関係を築くことを好みました。実際にどのような生活を送っているかを観察することで、解決すべき問題を認識できたのです」と、フリード氏。
グラフ氏によると、ライトは家具やテキスタイル、アクセサリーを含めた空間全体をデザインすることも多かった。それがどう見えるかだけでなく、どう使われるかのビジョンも持っていたからだ。「現在ではデザインを語る際、誰もがそれに言及します。エンジニアリングにおける人間の要素や、オブジェクトがどう使われるか、どうすればそれがより美しく、分かりやすくなるか。ライトの建物ではそれが重視されており、しかもそれは一世紀も前に行われていたのです」。
3. デザインの民主化
アリゾナ州スコッツデールにあるタリアセン建築スクール (以前のフランク・ロイド・ライト建築学校) のアーロン・ベッキー学部長によると、ライトの遺産は建築的なものに留まらず、ソーシャルかつ政治的なものでもあった。
「ビルを機能させる電気や水、下水、エアコンなど、すべてのシステムは対立するものではありません」と、ベッキー氏。「それらは完全に相互接続された本体の一部であり、その本体も都市や郊外など、より大きなものの一部なのです。ライトは、ビルを独立したオブジェクトでなく、皆が共有する非常に複雑な世界を理解する方法だと考えるよう促しています。それは私がライトを尊敬する理由のひとつでもあります。単なる見かけの良い箱を作ることを超越して、建築が世界を変え、より良いものにするのだと信じさせてくれるのです」。
その例となるユーソニアン・ハウスは米国を指す彼の造語ユーソニア (Usonia) をもとに、民主化の理想を反映した、非常に米国的な建築へのアプローチを表現している。
「彼は美しい家と質の高い建築を、誰にでも手の届くものにしたいと考えました。そして控えめな低価格で愛らしいユーソニアン・ハウスを作ったのです」とグラフ氏。彼によると、典型的なユーソニアン・ハウスは当時の価格で5,000米ドル、現在の貨幣価値では 85,000 米ドル (約1,200万円) だ。
ライトの信奉者であり、エコフレンドリーなハウスキットで知られるNoble Homeのオーナー兼建築家のノア・グルンバーグ氏は「ライトは自身の作品を、よく民主主義の建築と表現していました」と語る。「彼は1930年代に、ブロードエイカー・シティと呼ばれる米国の景観のマスタープランを作りました。これは全ての家族が居住地として1エーカー (約1,200坪) の土地を所有でき、近隣のサービスを受けながら、ほぼ自給自足の生活を送るという計画でした」。
このモデルが実現することはなかったが、ライトのアイデアと先見の明を持った視線は、時代を超えることになった。「ライトによる空間や素材、構造の過激な再考は、人々に未来の形と、生活がより美しくなることに関するビジョンを提供しました」と語るグラフ氏は、ライトが最高の建築作品を尋ねられた際に「次の作品」だと答えたことを思い起こす。「彼は70年間、常に先を見ていました。これはどんな人にとっても、またどんな仕事をしている人にとっても素晴らしいことであり、それこそが人々がフランク・ロイド・ライトに刺激を受ける理由だと思います」。
本記事は2017年6月に掲載された原稿をアップデートしたものです。