ネットゼロへの道のり: 気候の安定化に必要な包括的取り組み
- ネットゼロカーボンとは?
- ネットゼロカーボン: 設計・施工の業界で建設が果たす役割とその歴史
- トータルカーボンマネジメントが意味すること
- サーキュラーエコノミーのための建築デザイン
- ネットゼロカーボンを目指すプロジェクト
- ネットゼロカーボンの未来
消防隊員たちがタホ湖畔のスキーリフトで発生した火の粉と戦い、ハリケーンがミシシッピ川を逆流。カナダでは温度計が摂氏49.4度を記録する一方で、南極の氷床では重力の傾きが検出される。まるで近未来のディストピアを描いたパニック映画のようだが、残念ながらそうではない。どれも現実の話で、今まさに起こっていることであり、しかも気候変動によって加速している。
産業革命以降、人類は2,000ギガtを超える二酸化炭素を大気中に放出してきた。そうした熱をため込む汚染物質の分厚い毛布が地球を取り囲むように存在し、地球温暖化の原因になっている。
化石燃料の使用は計り知れない影響をもたらし、汚染によって年間800万人以上が命を落としている。米国だけでも、化石燃料により毎年5万人を超える死者と50兆円相当の経済的損害が発生している。
地球温暖化の程度は、人間の活動により大気中に放出される二酸化炭素の量に正比例する。それはシンプルこの上ない方程式であり、気候を安定させるには、世界の炭素排出量 (carbon emission) をゼロにすることが絶対条件だ。長引けば、それだけ気候変動は進行する。
ネットゼロカーボンとは?
ネットゼロ (net-zero) が意味することは、簡単に言えば大気中に放出される温室効果ガスの量と大気中から除去される量が等しい状態であり、二酸化炭素の削減や相殺、除去によって達成される。
ネットゼロカーボンが重要である理由
気候変動は蔓延かつ激化しており、それに対処する最善の手段は地球温暖化の抑制だと専門家の意見や一致している。
2015年のパリ協定で、地球の気温上昇を産業革命以前の気温から摂氏1.5度未満に抑えるための国際的な枠組みが示された。それを実現気候変動の影響は大幅に抑制されるが、この目標の達成には2050年までに世界の炭素排出量をネットゼロにする必要がある、というのが多くの専門家の意見だ。約200カ国が措置を講じることに合意し、フランス、ニュージーランド、スウェーデンなどではネットゼロが法制化されてい。
今世紀半ばのネットゼロ目標を達成するには、すぐに排出量の積極的な削減を行うことが必要であり、今後10年間の行動が重要だ。建造環境を、温室効果ガスの主要な排出源から気候の緊急事態への重要な解決策へと転換することを目指すArchitecture 2030を設立した建築家、教育者のエド・マズリア氏は「現時点で既に産業革命以前の気温より1度上昇した状態にあり、窮地に立たされることになるでしょう」と述べる。
気候変動対策のムーブメントをリードする多くの人々と同様、マズリア氏も2050年では遅すぎると言う。「1.5度未満に抑えるには、2030年までに排出量を急減させ、2040年までに段階的にネットゼロへ移行する必要があります」。2040年の目標達成の公算を67%まで高めるには、マズリア氏は世界の二酸化炭素排出量を2030年までに50%削減し、2040年までにゼロにする必要があると話す。
ネットゼロを設計・施工の業界にどう適用するべきか?
どのような建造物も、施工プロセスと運用フェーズの両方で、それに伴う炭素排出が行われる。ネットゼロビルは、エネルギー使用量を削減して二酸化炭素の排出量を最小限に抑え、風力や太陽光などの再生可能エネルギーを利用したり、カーボン オフセットを購入して二酸化炭素排出量プラス−マイナスゼロを達成したりすることで、従来のエネルギーによる温室効果ガスの排出量を相殺する。
ネットゼロビルの目標は、控えめに言っても野心的だ。World Green Building Councilでネットゼロ振興部門のディレクターを務めるヴィクトリア・バローズ氏は「2030年までに建造環境の排出量を半減させるなら、新築建物の100%をネットゼロカーボン化し、既存建物は改修によってエネルギー効率を高める必要があります」と話す。「エンボディドカーボン (内包される二酸化炭素: 建築時の総排出二酸化炭素) を少なくとも40%削減し、主要プロジェクトでは最低でも50%の削減を達成しなければなりません。遅くとも2050年までには新築・既存資産のすべてを、オペレーショナルカーボン (運用時の総排出二酸化炭素)、エンボディドカーボンを含めたライフサイクル全体でネットゼロに転換する必要があるのです」。
建造環境は、世界の二酸化炭素排出量へ非常に大きな影響を与える。世界資源研究所 (WRI) のBuildings and Energy, WRI Ross Center for Sustainable Citiesでグローバルリードを務めるクレイ・ネスラー氏は「建物の総床面積は2060年までに倍増するでしょう」と話す。「これは、毎月ニューヨークをもうひとつ作ることと同じです。こうした建造物は暖房や冷房、照明を備え、快適かつ健康的な環境を提供し、気候変動の影響に強いものでなければなりません」。
「都市や国のネットゼロの達成は、建造物抜きでは考えられません。建造物は世界の二酸化炭素排出量の39%を占めており、都市部ではその割合がさらに高いからです」と、ネスラー氏。「しかし [建造物は] 利用可能な技術を活用し、ライフサイクル全体で費用対効果の高い二酸化炭素削減を即座に実現する、最大の機会でもあります」。
ネットゼロカーボン: 設計・施工の業界で建設が果たす役割とその歴史
ネットゼロは非常に短い期間で科学的な概念から野心的な実践へ、そして政策に進化してきた。
産業革命以前の建造物は、現在の建造物よりネットゼロに近かった。熱と光はバイオマスを燃やして生成され、新鮮な空気は換気によって供給されて、機械はそれほど導入されていなかった。
設計者や、エンジニア、施工者は、20世紀初頭には構造物の環境への影響を考慮し始めていた。1970年代、中東での紛争により石油価格が高騰すると、政府や産業界は経済の化石燃料への依存を懸念し、エネルギーの節約を余儀なくされた。
US Green Building Council (米国グリーンビルディング協会) は1998年に、新築建造物の材料、水、エネルギー使用量の評価システムであるLEED (Leadership in Energy and Environmental Design) を開始。
マズリア氏は2002年に、気候変動の流れを変えるための非営利団体Architecture 2030を設立した。2006年、Architecture 2030は、新築建造物を2030年までにカーボンニュートラルにすることを求め、2030 Challengeを発表した。アメリカ建築家協会は、2030 Challengeの目標に向けた進捗状況を示す2030 Commitmentで、それに応えた。
2006年、Living Buidling Challengeが、建築基準とそのサステナビリティ性能の基準を引き上げた。
2015年には約200カ国がパリ協定に調印し、汚染の長期的削減に取り組むことに合意。2019年、欧州委員会は2050年までにヨーロッパの気候中立を実現する取り組みとなるEuropean Green Deal (欧州グリーンディール) を創設した。
トータルカーボンマネジメントが意味すること
AEC (建築/エンジニアリング/建設) 業界において、トータルカーボンマネジメントとはエンボディドカーボン、オペレーショナルカーボンの総量を測定、管理するプロセスを指す。オートデスクのサステナビリティサクセス部門でシニアマネージャーを務めるトニー・サラシーノは「ネットゼロという言葉が、運用上のエネルギーを表現することだけに使われることが多いのは問題です」と述べる。「本当の意味でのネットゼロとは、エンボディドカーボンとオペレーショナルカーボンの合計、つまり測定、管理、削減後の総炭素排出量がゼロまたはそれ以下である建造物の表現に使用されるべきです」。
エンボディドカーボン
あらゆる建造物は、エンボディドカーボン、つまり資源の採掘、精製、製造、物流により発生する二酸化炭素によって、気候変動に影の影響を与えている。建造物やインフラに使用されるすべての材料のエンボディドカーボンを追跡することは困難だが、世界の温室効果ガス排出量の11%に相当する。エネルギー効率を高める改修や再生可能エネルギーの利用で長期的に削減可能な建造物のオペレーショナルカーボンとは異なり、エンボディドカーボンはは建造物が完成した時点で固定されてしまう。
建設業界は世界の原材料の最大の消費者だ。Architecture 2030によると、2030年には新築による総排出量の半分以上をエンボディドカーボンが占めることになる。
2060年までに新築が予測される建造物は23万平方kmにも及ぶため、エンボディドカーボンを制御し、建設におけるネットゼロカーボンを達成することが極めて重要だ。オープンソースのEC3 embodied carbon calculatorのようなツールは、関係者が二酸化炭素への影響が最も少ない材料を選択するための情報提供に役立つ。
オペレーショナルカーボン
オペレーショナルカーボンとは、管理やメンテナンスを含めた、建造物の運用時に排出される二酸化炭素量を指す。運用で排出される二酸化炭素は世界の排出量の28%を占め、この数字は今後30年の建造環境の拡大によって増加するだろう。
高性能建築設計とは、効率的で安全かつ快適な建物を実現し、性能や温室効果ガス削減に関する規制を上回るものだ。これは、エネルギー消費量、材料使用量、居住者の安全性と快適性を最適化する技術とツールを組み合わせ、可能な限り再生可能なエネルギー源を利用することで達成される。
設計者はBIM (ビルディング インフォメーション モデリング) などのデジタル技術を活用することで、エネルギー消費をシミュレーションできる。だが、テクノロジーにより設計プロセスが強化される一方で、設計プロセスそのものは複雑化している。
「ゼロカーボンビルをデザインするには、構造的に問題のないビルにするだけでなく、より多くの自然光を取り入れるために照明レベルを分析する必要もあります」と、ネスラー氏。「屋上緑化や屋上を白く塗装するホワイトルーフなどの効果を評価する必要があります。また、建物の最適な向きも判断しなければなりません。建物の冷暖房や照明負荷に合わせて再生可能エネルギーを選択するため、非常に詳細なエネルギーシミュレーションを行う必要があります。また、建物をさまざまな方法で制御することも必要です」。
カーボンオフセット (炭素中和)
カーボンオフセットは、二酸化炭素消費を回避・削減するプロジェクトへの投資を通じて企業の二酸化炭素排出を中和することで、そのサステナビリティ目標の達成を支援する。これはカーボンクレジットの形をとる場合もある。カーボンクレジットの1クレジットは、大気中から1トンの二酸化炭素をの除去する、または発生を回避することに相当する。
施工者は、第三者によるオフセットプロジェクトへ投資する、もしくは植樹や風力発電、地熱発電、太陽光発電など独自のプログラムを開始することが可能だ。
カーボンリムーバル (炭素除去)
ネットゼロへの道を歩む上で排出削減の戦略が重要なステップとなるが、それだけでは不十分だ。ネットゼロを達成するには、大気中から積極的に炭素を除去する戦略が必要になる。
炭素除去の方法には、森林再生や土壌管理など自然界に関するものや、DAC (直接空気回収) や無機化の促進などハイテクを利用するもの、そして海洋ベースの炭素除去などハイブリッドなものがある。
建造環境においては、煙突から排出される二酸化炭素を回収したり、産業排出物を建材へと転換したり、コンクリートなどの材料に二酸化炭素を貯蔵したりすることで二酸化炭素を除去できる。
プリンストン大学の土木環境工学部准教授、クレア・ホワイト博士は「最もエキサイティングな開発は、コンクリートのカーボンフットプリントを大幅に削減できる可能性を持つものか、カーボンフットプリントがネットネガティブであるもの、つまりカーボンシンク (二酸化炭素の吸収源) となる可能性を持つものです」と話す。「ポルトランドセメントに比べてCO2排出量が70%以上も少ないセメントが登場しています。コンクリートのカーボンフットプリントを大幅に削減し、ネットゼロカーボン産業へと移行するには、こうした材料が必要です」。
サーキュラーエコノミーのための建築デザイン
資源の継続使用と再利用に焦点を当て、廃棄ゼロを目指すサーキュラーエコノミーは、建築にも浸透しつつある。これは単なるリサイクルを超え、設計・施工においてアップサイクルのアイデアを取り入れることを意味する。このクローズドループのサイクルを実現するには、材料の性能から建物自体の目的まで、全てにわたるトップダウンのアプローチが必要だ。
サーキュラリティの実現には建物をどう設計・施工すべきか?
サーキュラリティとは、建物のライフサイクル全体とそれ以降を考慮した「ゆりかごからゆりかごまで」のアプローチを意味する。
「ここにシンプルな本棚があるとします」と、サラシーノ。「状態が悪く、もう修理は無理でも、その棚板は同じ幅、同じ長さの木材を使用した別のものに応用できるかもしれません。そこにスマートデザインがサーキュラリティへとつながる可能性があるのです」。
同じ概念は建築にも当てはまる。「古い工場を住宅に転用したロフトがその例です」と、サラシーノは述べる。「建物におけるサーキュラリティの好例と言えるでしょう。製造工場だった建物を利用し、そこに人間が住んでいます。天井や柱には大きな梁が走り、床も当時のままなど、最小限の手を加えただけの場合もあります」。
建物の設計においてサーキュラリティのメリットを最大限に享受するには、エンドツーエンドのデジタル化が重要だとネスラー氏は話す。「iPadでスケッチしたものをBIMモデルにします。すべてをシミュレーションし、最適なエネルギー使用を実現するために設計を最適化し、材料にどれだけの二酸化炭素が内包されているのかを把握します」。
「そのデータをシステムにダウンロードして、建物内のすべてのセンサーや機器とデータを関連付けることで建物の最適な制御を行うだけでなく、建物をエネルギーの消費者ではなく生産者にできるのです」とネスラー氏は続ける。「エネルギーを貯蔵し、管理し、そして使用する。できれば、少ない量のクリーンエネルギーを。コンクリートの壁や鉄骨にはタグが付けられ、50年後に建物を取り壊す際に、どこに何があるのかが分かるようになっています」。
「こういったコミュニティは、気候変動により失うものも大きい一方、より効率的でサステナブルな建物から得られるものも大きくなります」
世界資源研究所 (WRI) Buildings and Energy, WRI Ross Center for Sustainable Citiesグローバルリード:クレイ・ネスラー氏
建物を材料バンクとして設計する
現在の建設プロセスでは材料の扱いは非効率的で、構造物は限られた用途に合わせて設計されている。そうでなく、建物が貴重な材料や部品の一時保管場所として扱われるとしたら? これが「材料バンクとしての建物」の背景にある考え方だ。
「建物はすべて「モノ」で構成されています」と、サラシーノ。「床には、木材、コンクリートスラブ、銅管が使用されています。これらはすべて、建物という銀行 (バンク) に預けられている材料です。そう考えることで、建物が耐用年数を迎えたときにそのバンクに何があるのかを知ることができるよう、建物を構築できます。そして解体時には、鉄球を打ちつけるのでなく簡単に分解できるようにします」。
材料バンクとしての建物をデザインする上で、デジタル化がますます重要なステップとなっている。「現状では壁を壊す際に、そこに何があるのか分かりません」と、ネスラー氏。「BIMモデルに材料に関するすべての情報が含まれるようになれば、再利用や再製造などが容易になります」。
ネットゼロカーボンを目指すプロジェクト
世界各地で、ネットゼロへの道をリードする大小の刺激的なプロジェクトが行われている。
- Build Changeは、地震や暴風雨の被害を受けやすい国や地域で、現地調達可能かつ土地の気候に適した材料を使用して住宅を建設、補強する活動を行っている。
- ワシントンDC郊外にあるUnited TherapeuticsのUnisphereビルは、13,000平米に及ぶ世界最大級のネットゼロビルだ。
- ジョージア工科大学のKendeda Building for Innovative Sustainable Designを手がけたスカンスカのプロジェクト チームは、映画のセットを解体したツーバイフォー材などの廃材を利用することで、Living Building Challenge の性能要件を満たしている。
- BamCoreは、ハイブリッドな竹製パネルをデザイン、製造するカスタム設計のシステムを構築し、住宅および低層商業建築向けに再生可能な材料を提供している。
- BuildX Studioは、ザンビアのSachibondu Rural Health Centreを建設において、再生木材や土を圧縮して生産した温度調整用ブロックなど、建材の80%以上を現地で調達・生産した。
ネットゼロカーボンの未来
ネットゼロは達成可能だが、今世紀半ばの目標の達成には全関係者の協調努力と政策による推進が必要だ。ネスラー氏は、民間企業も積極的に行動する必要があると話す。「すべての政策立案者が建設やエネルギー削減の経験や知識を有しているわけではありません。民間企業は、この議論に信頼性と実用性をもたらすことができます」。
各国がネットゼロを目指す中、二酸化炭素排出量が最も少ないにもかかわらず健康や経済に甚大な影響を受けている、世界の脆弱なコミュニティのレジリエンスを高めることは極めて重要だ。「こういったコミュニティは、気候変動により失うものも大きい一方、より効率的でサステナブルな建物から得られるものも大きくなります。二酸化炭素排出量をゼロにするための介入によって、建物はより快適で健康的なものになるからです」とネスラー氏は話す。
「より高性能な建物とするための先行投資や大規模改修の費用を長期的に支払うための手段を見つけることが効果的です」と、ネスラー氏は続ける。「この問題にコミュニティを対処可能とする、民間指向のクリエイティブなビジネスモデルは数多く存在しています」。これこそが、AEC業界が最大の変革の担い手となりうる場所だ。「建築コミュニティは、自らが気候変動の一因であるという事実を受け入れ、それに関与することを決めました。デザイナーは、世界をより良い場所にすることが仕事だと教えられているからです」と、マズリア氏。「これこそがデザイナーという職業の使命です」。