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VR セラピーにより患者はホスピスから熱気球へ

VR therapy born to roam experience from scad

ホスピスケアを受ける末期患者は、残された日々を医療機関で過ごすか、在宅ケアを受けるのかを選択することになる。その状況は数日、数カ月、ときには数年に渡り、期間の長さを問わず患者には忍耐力と不屈の精神が試され、強烈な痛みに悩まされる場合も多い。それは非常に過酷な体験となるため、ホスピスケアを受ける患者とその介護者は、極めて良好な時期と最悪の時期との間を頻繁に揺れ動くこととなる。

患者が身体的、精神的な苦痛に耐えられるよう、医師は痛みや不安、うつ状態に対する薬を処方することが多い。だが、米国の権威ある芸術デザイン大学の新たなプログラムでは、VR セラピーという異なる処方箋が考えられている。

ジョージア州サヴァンナのサヴァンナ芸術工科大学 (SCAD) で没入現実分野の美術学士を取るべく学んでいる 4 年生のエリン・ミラー氏は「VR の常用は、慢性痛患者やホスピス患者の人生を一変させる可能性を秘めています」と話す。「脳を仮想環境に集中させられる VR により、患者は一時的に痛みを忘れることができます。現在の医療システムに改革が必要だという発言は大げさなものではなく、VR は従来の治療処置を補完できる、さまざまな手法のひとつだと思います」。

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水中 VR 体験の Nalu [提供: SCAD]

ミラー氏は、“VR の熱烈な支持者”を自認するテリ・ヤーブロー教授、SCAD のデジタル メディア学部長マックス・アルミー氏が生み出した特別コースに参加した 21 名の学生のひとりだ。VR for Good と名付けられた 10 週にわたるこの春期クラスは、ヘルスケア分野におけるイマーシブ メディアをテーマにした初めてのクラスであり、SCAD はこれが新しいカリキュラム、さらには副専攻科目となることを希望している。

「医療は数十年にわたってイマーシブ メディアに取り組んできた業界です」と話すアルミー氏は、ヘルスケア分野におけるアーリーアダプターたちは、医学部、病院、診療所、在宅ケアで既にイマーシブ メディアを活用していると付け加える。「本クラスの学生は、このテクノロジーと説得力のあるストーリーを語る方法を理解しており、エンタメやゲーム分野だけでなく、医療や健康、ウェルネス分野においても、未来のコンテンツ作成のリーダーを生み出すことができると考えています」。

心優しいテック

ヤーブロー氏は SCAD 学部でアイデアをブレインストーミングする一方で、現地の非営利ホスピス サービス提供者 Hospice Savannah、その緩和ケア事業である Steward Center for Palliative Care との信頼関係を築いた。Hospice Savannah プレジデント兼 CEO のキャスリーン・ベントン氏は先頃、プロテウス症候群により、SCAD 卒業生である弟のダニエル・デローチ氏を失っている。プロテウス症候群は、骨や皮膚などの組織の進行性過成長により身体が蝕まれる希少疾患だ。ベントン氏の家族は彼のため、慢性疾患や障害を持つ人々の暮らしを、テクノロジーの活用で向上させることを使命とする基金を設立した。

「ダニエルは SCAD の学生、テクノロジーの支持者、才気溢れる人物であり、映画「エレファント・マン」の主人公と同じ病気を背負っていました」と、ベントン氏。「彼の死後、私たちは現実から逃避する手法となるテクノロジーを、彼の名の下に提供しようと決心しました」。彼女は、弟の病気と密接に関係するプロジェクトで SCAD と提携する機会を模索。VR for Good クラスは、ヤーブロー氏とのネットワーキングにより生まれた。「このプログラムは、すぐに私の心に響きました。ダニエルなら苦痛に悩む患者のために、こうしたことを行いたいだろうと思ったからです」。

このコースは Daniel DeLoach Memorial Fund からの資金援助により、2020 年 3 月から 5 月にかけて開講された。学生たちは Autodesk Maya を使用し、 Hospice Savannah と Steward Center for Palliative Care の患者と介護者のための 3 つのインタラクティブな VR 体験を開発した。

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理学療法を受けるホスピス患者を支援するようデザインされた Apples and Anthills の VR 体験 [提供: SCAD]

最初の作品「Born to Roam」は、やりたいことリストの常連である熱気球に乗ったバーチャル旅行体験で、アマゾンの熱帯雨林やヴェネツィアの運河といった観光名所を観て巡るもの。2 作目の「Nalu」はインタラクティブかつ瞑想的な水中の冒険で、ユーザーはクジラ、イルカ、ウミガメなどの水中生物を眺めることができる。そして 3 作目の「Apples and Anthills」はノスタルジックな農園体験で、ユーザーはリンゴの収穫や馬の手入れなどのアクティビティを楽しむ。3 作品ともライブアクション映像上に 3D アニメーションがレンダリングされる。

「VR for Good は、利他的精神を持ち才能ある大学生と、重病患者や死に瀕した人々への介護提供の使命感に溢れたコミュニティ機関と協力できる、イノベーティブな手法です」と、ベントン氏。「学生たちが生み出した優れた作品は、孤立した患者が現実からひとときの逃避を行うために必要なものを統合したもので、その意義と目的をバーチャルの世界に見出しています」。

VR のリアルな有益性

ベントン氏の目標は数々の研究で立証されている。VR セラピーは身体感覚から患者の気をそらすことで、痛みや不安を劇的に軽減することができる。例えば 2019 年に学術誌「PLOS One」に掲載された研究では、内科・外科疾患で中度から重度の痛みのある 120 名の入院患者群を対象に、VR による疼痛管理の利点をテレビによるものと比較。それによると、VR を使用した患者の痛みは、同様のコンテンツをテレビで観た患者に比べ、統計的にも有意に軽減された。同じ学術誌に掲載された 2016 年の研究でも同様の結果が得られている。慢性痛のある患者の痛みは、5 分間にわたる VR 体験中に 60%、体験後に 33% 軽減したと報告されている。

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VR 体験 Apples and Anthills をテスト中の SCAD 卒業生のリコン・ワトソン氏 [提供: SCAD]

「VR ヘッドセットを装着すると、脳のあらゆる部分の神経伝達を VR が引き継ぎます」と、アルミー氏。「脳内で非常に多くのことが起こることで、痛みを感じなくなるのです」。この有効性は、ヘルスケア分野における VR のさらなる可能性を示唆している。高齢者介護における痛み、うつ状態、ストレス、社会的孤立の緩和に応用できる可能性がある。また予防接種や傷の手当て、不快な医療処置の際して子供の気を紛らわせたり、不安感の強い術前の患者や出産前の妊婦を落ち着かせたり、看護師や介護者の疲労感を緩和させ休養させたり、筋骨格系の外傷患者の理学療法の助けに使用したりすることもできるだろう。

さらに、オピオイドによる死亡の防止にもつながる可能性がある。オピオイドは依存性が極めて高く、その有効性は時間の経過に伴って低下する。「オピオイド依存は米国において重要な問題となりつつあります」と、ベントン氏。「VR の最も重要な機能のひとつは、慢性疾患患者に必要な疼痛管理に対処しつつ、こうした鎮痛薬の使用を低減していくことだと考えています」。

コロナウイルス感染症の場合は?

SCAD がコロナ禍で 2020 年春の通学クラスを閉鎖したため、VR for Good の講義をオンライン受講しなければならなかった学生にとって、今回のパンデミックは VR セラピーの利点と将来性をさらに強調するものとなった。

最近インタラクティブ デザインとゲーム開発分野で美術学士号を取得し、SCAD を卒業したリコン・ワトソン氏は「パンデミックにより、単に外出できることがどれほど重要かを学びました」と話す。「ホスピスケアを受けている、あるいは長期入院中の患者の多くは、ただ外に出て世界を眺めることを、何よりも望んでいるでしょう。VR なら、同じような経験を提供できるのです」。

Born to Roam チームでアート ディレクターを務めたミラー氏は、次のように話す。「自分のコミュニティにプラスの効果を与えていると感じられたことは、大きなやりがいとなりました。コロナによって患者と家族との面会が制限されていた期間は、特にそうです。現在は皆が孤立していますが、VR for Good クラスは私たちをつなぐ橋となっていました。その核となる Born to Ram の VR 体験は、それまで見る機会のなかった場所へ人々を連れ出し、人間としての体験を皆が共有していると気づいてもらうことを目的としています」。

SCAD は VR for Good の研究的要素を想定し、患者への成果を評価するための助成金まで調達していた。だがパンデミックにより、その助成金と研究プランには遅れが出ている。それでも学生と従事者は、患者と介護者に対して VR の導入を初めて以来、彼らが得たポジティブな反応によって支えられていると感じている。

「VR ヘッドセットを装着して、もう何年もゴルフをしていなかったと涙を流す患者がいました」と、ベントン氏。「掃除や介護をする代わりに、バーチャル世界のイタリアで誕生日を過ごした介護者もいます。現在は、まだこうした逸話的なストーリーしかありませんが、この分野の今後の成長を促すのには十分です」。

著者プロフィール

マット・アルダートンはビジネスやデザイン、フード、トラベル、テクノロジーを得意とするシカゴ在住のフリーライター。ノースウェスタン大学の Medill School of Journalism を卒業した彼の過去のテーマは、ビーニーベイビーズやメガブリッジからロボット、チキンサンドイッチまで多岐に渡っています。Web サイト (MattAlderton.com) からコンタクト可能。

Profile Photo of Matt Alderton - JP